玄黄二刀流は、元和6年(1620年)4月28日に創設された山口流を再編纂した流派です。
(A)「最短・最速」で斬る。
(B)「出来るだけ無駄を省く動き」で斬る。
という事を主眼にしています。
山口流は、宮本武蔵の2年前(1582年)に生まれた山口右馬之助家利(号が卜真斎)により創設された流派であり、創設された当時は二刀流の形3本と大刀の形2本しかなく、後日弟子の
新富田 某が大刀の形7本、小太刀(脇差)の形7本を追加し、大刀の形を表、小太刀の形を裏と呼ぶようになり明治(1868年)まで前田藩の分家である富山藩で継承されて来ました。
無外流の流祖である辻 月丹は、この山口流の免許皆伝者として江戸で道場を開きましたが、田舎剣法として弟子になる者が殆どいないという状態でした。その後、辻 月丹は20年間参禅に通い山口流を無外流と改めた(1693年、45才の時)のです。
私達は無外流を稽古して来た後に、無外流の源流である山口流を研究し、創設当時の二刀流に行き着きました。
二刀流は一刀流よりも有利です。
宮本武蔵も「左右の腕が同じ様に使えるならば、一刀よりも二刀の方が有利である」と言っています。これは極めて当然の事であり、二刀流の稽古をしてみればよく分かります。
現代の剣道のように、首筋を打たれても1本(負け)と認められないのは、現代の剣道がスポーツであり、決められた所だけしか打っていないからだという事によります。
しかしながら、本来の剣術は「殺し合い(命の取り合い)」をする剣を使っての技術です。首筋を斬られたら死にます。現代の剣道には、スポーツであるが故に「死ぬ」という事が根本思想にないのです。
私達は、剣で斬られたら死ぬ。突かれたら死ぬという当たり前の事を稽古しています。
晃 雨 晶 玉 暁 星 和 光 建 礼
初 音 慶 龍 太 平 承 明 宗 源
(表の形)
雷 霞 五月雨 野 火 雲 漢
光 暈 静 山 顕 祥 蒼 穹 飛 翔
天 馬 虚 空 夢 幻 隆 昌 回 天
華 精 幻 影 青 狼 風 神 乾 坤
蓬 莱 塵 外 春 灯 霜 剣 豊 穣
細 波 月 魄 美 空 都 鳥 闇 烏
(裏の形)
火 焔 流 星 月 光 光 輪 白 虹
雲 彩 砂 塵 虎 穴 疾 風 子 安
朝 霧 狼 煙 陽 炎 連 枝 乱 雲
1948(昭和23)年10月2日大分県津久見市生まれ。
若年の頃より合気道を始めとする各種武術を学び、二十代の時、神道夢想流杖道と無外流居合兵道の師に出会う。
その後、三菱重工業株式会社に勤務するかたわら、全三菱合気道同好会の中で武道の研鑽を積み、86年、同会において杖道、居合道の指導者に就任。87年、39歳にして東京都杖道連盟を創設、杖道と居合道の一般への普及に着手する。94年には同連盟の居合修道者を中心に武道教授団体吹毛会を設立、その後、吹毛会を関東居合道連盟等の17団体に分割し、07年にNPO法人無外流を設立し、08年に財団法人無外流に組織変更。
無外流居合兵道の修道者としては86年師範、96年免許皆伝、98年範士、99年宗家継承(無外流明思派宗家の名乗りは2004年から)。他に東征流短杖護身術宗家、玉心真刀流宗家、神道夢想流杖道、内田流短杖術、一心流鎖鎌術、一角流十手術、中和流短剣術各範士八段。
13年に無外流の源流である山口流の二刀流を玄黄二刀流として再編纂。